アムステルダムにて その2
ジュリアさんは仏教に改宗したという。彼女の過去についてはあれこれ聞いてはいないが、「人間はなぜ死ぬのか?」「なぜ生きているのか?」「なんのために生きているのか?」と考えたことが彼女を仏教に目覚めさせたのだという。
勉強会の内容はざっとこんなかんじ
- 瞑想 (30分)
- 座布団の周りをぐるぐる回ったり、礼拝したり (15分くらい)
- 瞑想 (30分)
- 座布団の周りをぐるぐる回ったり、礼拝したり (15分くらい)
- 仏教に関する説法、講義、いくつかのお経となえたり… (30分くらい)
全体の流れや時間配分など、ちょうど良い塩梅だった気がする。
瞑想も30分というのは、いざやってみると意外と長く感じるかもしれない。(終わってみたらアッという間という感覚もあるが…)
やっている間に沸き起こる雑念の多さに自分でも驚く。
とても興味深かった点は、日本の禅宗の作法とかいくつかの宗派のものが種々雑多にミックスされている点だ。
たいていの日本人は仏教、お寺が身近にありすぎて、あんまり細かい作法のこととか宗派の違いとか気にしないで生活している。恥ずかしながらアムステルダムに来て、この光景を目の当たりにして
「あっ、俺、各宗派の違い、全然理解してない!!!」
と痛感した。
「灯台もと暗し」ってやつだ。
実は、こういうこと現象は色々なところでみられる。
日本人は世界的にみてもブラジル音楽ファンが多いのだが、彼らはブラジル人よりブラジル音楽に精通している。身近にないものだから、先入観なく、分け隔てなく有名なものからマニアックなものまで調べつくす。
「指圧」に関しても同じことがいえる。熱心に指圧を勉強している一部の外国人セラピストは、貪欲に、「浪越指圧」「禅指圧」「操体法」「中国医学」「東洋医学」「鍼灸」などを積極的に学ぼうとしている。
この文章を書きながらふと、
「無知の知」
というワードが頭に浮かんだ。
自分が、そのことに関して何も知らない、という自覚があると自然に勉強するし、色々なことが頭に入ってくるものだ。
日本における「指圧」の一般的な認識は安易なリラクゼーションマッサージと大差がないような現状だ。施術している側もおきまりの型に沿って指圧していくだけの人も大勢いることだろう。彼らは「自分は指圧に関して何も知らない」という自覚が無い。指圧の奥深さを知らないでいる。非常に残念なことだ。
年齢を重ねていく、それまでに得た経験などから自分の尺度で
たかをくくってしまう
日々、いつもフレッシュな状態でいられるようにしよう!と強く思った次第である。